2007年03月14日
私と白い歯

【僕が歯医者になった訳】
突然ですが、世の中にはいろいろな職業がありますよね。例えば、パイロットになる人、看護師になる人もいれば、銀行員になる人もいるわけですよね。
それぞれが仕事に就くときに、何かきっかけみたいなものが、誰しもあると思うんです。
僕にも、歯医者になるきっかけがあったんです。それは・・・。
【中学生の頃の自分】
実は僕には、中学生の頃、ドキッとする思い出があるんです。その頃、僕にはクラスメートで、ちょっと気になる女の子がいたのです。その子は、ショートヘアが似合う、当時の小泉今日子似のとてもキュートな女の子でした。
一方、僕はといえば、恋愛に関して、まったくのうぶで、好きな子に自分の気持ちを伝える事など全く出来ない、内気な少年でした。
【僕の人生を変えた一言】
中学2年のある朝。朝礼を待つ、体育館での出来事です。僕の斜め前には、気になっている女の子が座っていました。斜め後ろから彼女の後姿を眺めているだけでも幸せな気分でした。彼女は、突然僕の方に振り返るなり、信じられない言葉を発したのです。
”前から思っていたんだけど、河原君の歯って黒くない?”
”ガーン”ハンマーで頭をどつかれたような衝撃と、顔はみるみる熱くなり、時が止まったような気さえする瞬間でした。恥ずかしさのあまり、その場から消えてなくなりたい気持ちだったような覚えがあります。なにせ、好きだった女の子からの心無い一言には、相当へこみました。それからというもの、自分の歯の色に対する憎しみが増していきました。ただでさえ内気であっても、多感な思春期時代です。
今思えば滑稽ですが、鏡に向かって、歯を見せないように話す練習をしたくらいでした。
いつか絶対に”この歯を白くしてやる”屈辱は、自然に僕を歯医者の道へと導きました。
実際のところ、僕の歯が黒いというのは、1960年代後半に広く使われていた、テトラサイクリンという種類の抗生物質による副作用であると知るには、歯科学生になって、さほど時間はかかりませんでした。
【放置された黒い歯】
時は流れ、歯医者になって早6年がたとうとした30歳の頃。今こそメジャーなラミネートベニア法も、まだまだ一般的でなく、25年近く忌まわしい黒い歯とともに、コンプレックスを抱いたまま生活していた僕に、信じられない嬉しい出来事が起こったのです。
ハワイ旅行の時、あても無く、ぷらぷらとアラモアナショッピングセンター近くを散策していたときのことです。
ふと目にとまったポスターには、こぼれんばかりの白い歯をしたアメリカ人の顔がありました。
そこには、歯のホワイトニング専門のサロン的なお洒落なデンタルオフィスがありました。足は吸い込まれるように、そのオフィスのエントランスをくぐり、受付の女の人に説明れるがまま、問診を受け、500ドルを支払いました、約2時間、椅子に座って治療に使う機器の青白い光に包まれていました。何度か刺すような痛みはありましたが、事前に説明を受けていたので我慢できる痛みでした。するとどうでしょう。
鏡に映った自分の歯は、見たことも無いような青白い歯。お世辞にも、真っ白とはいえませんが、明らかに白くなっており、結果には十分満足できました。
たった5万円で25年ものコンプレックスが吹き飛んだのです。この変化には、歯医者である自分でも感動したことを覚えています。
早速、日本に帰り薬液を輸入し、以後自分と同じような歯の色でお困りの方に対し、個人医院では珍しい”変色歯外来”を設け治療に注力してきました。
【貴女も変われる】
僕は有名なスポーツ選手のように、天性と努力で得たチャンスを職業にしたわけではありません。
僕が歯医者を選んだ訳は、ただコンプレックスをバネに、自分を救いたいとか、同じ悩みを持つ人の悩みに共感したいと思うことから実現しました。
何事もくよくよしないで、悩みはその専門家に相談することから、道は開けると僕は思うのです。
僕の悩みはたった2時間の5万円で解決するようなちっぽけなものでした。でも、勇気を持ってチャレンジしてよかったと思います。貴女がもし、黄色い歯や黒い歯で悩んでいるなら善は急げです。歯のホワイトニングが貴女の人生を今より、前向きなものにしてくれることを、経験者の僕が保証します。
次回は”ホワイトニングが導いたロマンス”についてお話したいと思います。
※年齢色彩により、ご希望の白さに至らない場合があります。主治医にご相談ください。